第二章 存在
* 沙耶 *
日曜日である。彼の日曜は大抵決まっている。休みの日は基本的に外に出ない。自分で避けているのだ。彼はまだ昨日の彼のままだ。自分に殺されるのを、革命を起こされるのを限りなく恐れている。その為、アクションを極力起こさないようにしている。極力ベッドの中にもぐりこみ、寝疲れたら外にでて適当にアニメだのDVDだのを干渉する。本は読まない。本を読むとその世界に取り込まれるからだ。世界に取り込まれることを彼は少なからず恐れている。だったらアニメも同じじゃないかと思うが、彼は本当に考える力が鋭い。本だと著者の考えに呑み込まれるように自分を具現化する。そうして自分を失いくだらないことをしたと後悔。そうしたら革命が起きるに違いない。その割りにアニメのほうは最初から知っているのだ。くだらないものだということを。だから見ていても自分は失わない。ただ後で殺されることは目に見えている。毎回殺す彼はくだらないものを見た、くだらないことをした。そう思ったときにバッサリと斬る。次に彼の部屋に言ったら最後。今の彼は戻らない。しばらくぶりにまともな彼が出ていた。携帯のメールにも返信をするし、多量に出された宿題にも手をつけようとしていた。それだけでも十分まともなのだ。今までが狂っていたせいで。
彼はパソコンに向かう。不定期で自分の持っているホームページとブログを更新するためだ。ブログなどは大抵3日に一度くらい更新しないと友人がキレる。「楽しみにしてたのに!」とか「何で更新しないんだよ、つまんねぇ」とか好き勝手いってくる。外での自分の位置を確立させるためだ。そとで普通に生きるために嫌なことをする。世間の言いなり。そして今日も革命が起こるのだろう。彼の部屋に行ったら最後だ。
ホームページの更新。ならびにレポートの調べ物をしたらしく、小一時間で彼は席をたった。レポートは5分もしないうちに書き上げた。インターネット上にある簡単なものを丸写しすれば大抵はAマイナスくらいの評価はもらえる。最悪「教えて、goo」などで疑問提示すれば半日もしないうちに返答がくる。ネットは本当に使える。そうして今日の彼が終わる。革命の議題は「なぜ今日生きたか」だ。毎回毎回生きたら革命を起こす。そうして彼は終わるのだ。でもそれじゃいけないんだ!生きただけで彼は、今日の彼は殺される。
そうして毎日を忘れることで彼は今まで生きてきたのだ。でもそれじゃこの先、生きていけない。毎日のように自分を殺し、そして続く―――。そんな人生はやめさせなきゃいけないんだ。彼の心の奥底からの望みだ。やめさせなくては。やめさせなきゃ!
「トゥルルルル、トゥルルルル」
電話が鳴る。彼を部屋に行かせないための奇跡の呼び鈴。
「よぉ、大崎。今、暇か?」
「なんだ、晃か。あぁ、別にすることもねぇし。」
さっきまで宿題をしていたやつとは思えない発言。こうして彼はこの世で生きてきたのだ。辛いこともありながらも、こうして平生を装って周りから疎外されないように必死で生きてきたんだ。
「んじゃ決定!カラオケ行こうぜ!和葉も誘うか?」
「アイツはいいよ。どうせ来たってロクな歌、唄わないだろ?」
「あはは、言えてる。」
周りのことも考えて、そして絶対に回りから嫌われないように。空気を読める人をずっと演じていた。それでもカラオケはまずい。唯はくだらない娯楽に金を使ったりすると、絶対に―――。
彼の行動は、早い。尊敬するほど早く動く。できるだけ革命を起こされないように恐怖心に耐え、そして尚一番手っ取り早い方法を考え、真っ先に状況下にふさわしい行動をとる。待ち合わせ場所、どこのカラオケで歌うか、その後の予定、カラオケのポイントカード等、いるものはすぐに用意する。そして簡単に、それでも恥ずかしみの無い格好をしてすぐに出る。晃という存在にもどれだけ気を使うことか。気の置けないヤツなんて真っ赤な嘘だ。常に気を使って向こうから気の置けないヤツであることを演じているだけなのだ。
待ち合わせよりも早く現場に着き、絶対に迷惑をかけぬよう行動する。
「おっす、待ったか?」
「いいや、今きたとこさ。」
「嘘つけぇ、お前絶対早く来てるって。なに、気合入ってる?」
「いやいや、んなことないさ。」
無理をしている。彼にとって晃や和葉はかけがえの無い友達なのだ。失ったら今の倍どころではない苦痛に恐われるだろう。晃たちとつるむ事は彼にとって大切なことだ。漫画やアニメは彼にとって一つの重要な趣味だ。それを晃たちと話し合うことは彼にとって本当に重要な楽しみの一つなのだ。絶対に失ってはならない友達なのだ。失わないために晃までに気を使わなければならない。晃はそんな事を望んでいないということも気づかずに。
そのままの自分を見せれない。怖くて。離れてしまうのが怖くて自分を出せない。だからそんな自分をまた殺す。革命を起こす。でもそうしちゃいけないんだ。
酷なことに時間というものは止まらない。さらに楽しい時間はすぐ過ぎる。カラオケということはともかく、彼にとって晃という存在は時間を忘れさせる存在。それはかけがえの無い存在とともに彼にとっての最大の凶器となる。彼がまた死んでしまう。助けなきゃいけない。でも私にはどうすることもできないのだ。私はどうすればいい?このまま、また死んでいく彼を見殺しにしろと。今日はどんな風に殺すのだろう?彼の殺し方のレパートリーは数知れず。まるで殺すのを楽しむよう。革命はそんなに起きちゃいけないんだ。お願いだ。だれか彼を止めなくては。誰か。
彼は晃と別れると駅に向かう。駅を抜ける。そうするとにぎやかな東口とは違う、地味で辛気臭い西口に出る。粗大ごみ収集の大工場と、アメリカ軍の基地。ビル街を抜けるとそこは本当に殺風景なところだ。ここ殺生市の特徴だ。殺生市は都内でも地味な都市で去年から新しい路線が開通し、今年から活気付いてきた町である。あまりにも近代化が進んだ賑やかな東と、まだ昔のままの何も無い西。東の賑やかさに追いやられ、西はどんどん地味になった。その西口。ひとは誰も寄り付かない。駅の改装で、便利な連絡橋や駅ビルなどが集中している東口に行きやすいような造りになっているため、西口は地味だ。誰もいない。まさに異空間ともいいたくなるような殺風景なところ。一本道が永遠に延びていて、左にアメリカ軍基地。右にボロボロになった家屋の群れと、畑や田んぼがある。
彼は人の通りの無い道を行く。そうして公園に出る。遊具もまともな広場も無い雑草が生い茂った公園。誰もいない。ずっと放置され続けた公園。横には水の流れていない分水路。
革命の始まりだ。
彼は彼をつきおとす。分水路の隙間に落とし、持っていたナイフでその上から突き落とす。このままじゃ―――
―――やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろっ、
やめろぉぉぉおおお―――。
やめて、やめて―――。彼の心の声が痛すぎる。
「やめなよ。」
「―――」
「―――」
「―――」
「―――」
痛いほどの沈黙。
どうしたらいい?どうしたら。私は、私は彼の中で彼を、唯をずっと見守っていた。それが何がどうなったのだろう。私は今、彼の前にいる。不思議だ。何が何だか分からない。一体なんだ?何がどうなってるんだ?そんなことも分からないまま私は彼の前にたった。彼の中の私が現実の私になってしまった。外に出てはいけない私が外にでてしまった。
「誰だ、お前?」
そう聞かれた。何て応えればいいかわからなかった。私は君を見ていた君。そんな事、いえない。言ったとしてもまともに聞けるわけが無い。彼は現実味の無いことは本当に興味が無い。でも咄嗟にでたんだ。
「君を―――君を、ずっと見てきた者だ。」
「あぁ?」
「君をずっと見守ってきた者だ。」
彼はきょとんとした顔でこちらを見ている。なんとも言い返せない。何と応えればいい。何が正解で何が不正解でもない。ずっと答えは出ない。どうしようもない。それでも、言わなくてはならないことがある。そうだ。私は与えられたんだ。命を。私の命を。自由を。
彼を守らなくてはならない。この命は彼を守るため。そのために神様がくれたのだ。そう思うしかない。
「お前、さっきから何言ってんだ?っていうか、どっから湧いてきた。俺は女には興味が無いんだ。向こういけ。」
「断る。」
「はぁ、なんで?」
理由など無い。君を守るため。君を、君にするため。これから生きるって意味を知ってほしいから。そうだ。
「君を守るため。君を、君にするため。これから生きるって意味を知ってほしいから。」
彼の、唯の元に歩み寄る。そして彼の両頬に手を当て、顔を近づける。そのまま彼に体重を預ける。一瞬の出来事。唇と唇が触れ合った。乾燥した彼の唇は粘着質の弾力も無く一瞬でするりと離れる。
「おい、お前・・・何すんだよ。」
「あら、そんなことも知らないの?キ―――」
「わかったよ、わかったよ。だいたい、だいたい何なんだよ、お前は。」
「君をよく知っている人さ。君の何をかもを知っている。君がこの前、彼女と別れたことも、君が漫画好きであることも、毎日毎日、君自身を殺していることも、ね。」
「!」
彼の動揺が見える。いや、彼はポーカーフェイスだったが、動揺が伺えた。何年もずっと見てきたのだ。彼のちょっとした同様のしぐさ、それが分からないわけが無い。ほんの少しの同様だった私には見える。
「それとも何?ファーストキスが私じゃ不満?」
「何故そんな事を知っている?俺が―――」
何度も言っている。私は君を見てきた。君自身だ。だから助けなくちゃいけない。私の君を。大好きな本当の貴方を取り戻すために与えられた。今はそう考えるしかなかった。神様が何故私にこんな体を、命をくれたのかは知らない。でも一つ分かることがある。彼を助けるために私はここにいるんだ。
「君のことは何でも知ってるよ。私は君のことが大好きだ。ずっと君を見ていたのだから。ずっと君を見ていた。君のことは何でも知っているさ。私は君の全てになれる。だからもう自分を殺さないで。殺すなら私を殺して。」
「お前―――」
「私じゃ、不満か?」
「最悪なことに、メチャクチャタイプだ。少し茶髪がかっててロングヘアー。顔も整っていておまけに泣きぼくろ。」
即答だった。しかしこの後続けて、
「まぁ、その腐ったストーカーみたいな性格は本当に最悪だけどな。オマケにいきなり、その、なんだ。まぁ、そういうことしてくるし。」
今、考えれば私は何故ここにいるのか。そんなことは決まっているじゃないか。彼を救うため。そのために最高の条件で私はいるんだ。だから私が彼の思うとおりでないわけが無いのだ。性格だけが唯一の私。そのほかは全て彼のものなのだ。もともと私は彼なのだから。
「ふふっ、だめかしら?」
「あ、ってか、まぁダメとかそういうんじゃ無くて・・・」
「そう、よかったわ。」
そうしてもう一回彼に近づく。
「大崎唯―――。」
一瞬の沈黙。
「っていうか何で俺の名前、知ってるんだよ。」
「知らないわけないわ。」
「なんでだよ―――っ!」
もう一度、彼の唇を塞ぐ。さっきと違って長い時間、ゆっくりゆっくりと過ぎていくときの流れに身を任せて。
「またかよ!」
「何言ってるの?あんなにじっくり浸っていたくせに。なによ、とても嫌とは思っていないようだけど。」
彼は言葉に戸惑っている。どう反撃してくるか、その手を練っているに違いない。
「お、お前。だ、第一、名前も知らないようなやつにいきなりやられたら誰だって驚くだろ?まぁお前は顔だって悪くないし―――だ、だけどよぉ。と、とにかく名前くらい名乗りやがれ!」
「!?」
考えてもいなかった。名前なんて。
「へっ?」
「名前だよ、名前。早く言えよ。」
「私は、あ、あ、、が、、、あがつまさやよ」
「あがつまさや?珍しい苗字だな。」
咄嗟に出た適当な名前だった。なんなのよ、あがつまって。でも今はごまかすしかないと思った。
「そ、そう。あがつまさや。我妻沙耶よ。」
「漢字は?」
「えぇっと・・・我に妻に水偏に少ないに耳偏に大里。よ。」
思いもよらない奇襲に戸惑った。一瞬自分でも何が何だか分からなくなった。へんな名前が咄嗟に出て。一体何だかわからなくなった。そういえば、私の名前って何だっけ?私って一体何なんだっけ?いつから彼を見ていたんだっけ?今まで気にしたことのなかった疑問が駆け巡った。
「ええっと、面倒だ。沙耶でいいんだよな。」
「え、あ、うん。」
「そうか、まぁなんだ。その、ええと、なんだ、あ〜んと、なんつったらいいんだろ、その、まぁよろしく。沙耶。」
反則的な笑顔だった。
この笑顔が見たかったんだ。何度も何度も見たかった彼の笑顔だった。自分を殺す猟奇で狂っている彼でない純粋に私との出会いを受け止めてくれる彼。今日の彼は殺される彼じゃない。殺す彼でもない。殺しちゃいけない本当の彼が今ここで出つつあるんだ。だから。
「よろしく。唯君。」
私の初恋だ。
この感情はずっと彼の中から疎外されてたんだのだろう。だから私は彼じゃないんだ。彼に全く干渉できないんだ。自分に恋する自分を疎外するのは当たり前だろう。それじゃぁ私の存在は?
彼を守ろうとする内なる存在が私。そう思っていた。でも私は彼の中から、疎外されてた。彼を他人として見ていなかったんだ。他人として見れなかったんだ。彼は私を知らない。だから私は彼を他人として救うことが出来る。ずっと恋しかった自分自身が今、他人として在る。私の存在が、別物になったんだ。
(神様に感謝しなくちゃ。)
「大好き。」
「えっ―――」
抱きついて耳元にそっとキスをした。
「もう自分を殺さないで。私がついてる。困ったときはここに来て。私が解決してあげるから。」
「―――。」
返答はなかった。
* 沙耶 *
夕暮れはきれいなものだ。公園の片隅で座って話す。ロクに話せるベンチもなく地べたにべろんと座って。時間が流れるのが分かる。雲があまりにも速く流れていて、太陽の沈むのも分かる。長い沈黙が、とても尊く感じられた。どちらからも言葉が出せない。なんかくすぐったい“間”があった。ずっと続けばいいと思った沈黙を破ったのは彼のほうだった。
「君は一体なんなの?」
そう聞かれた。どう応えようか?
「君の恋人さ♪」
「いやいや、何でそうなるんだよ。」
困っている彼もまた好きだ。大好きだ。でも私のすることは彼の彼女になるわけじゃない。彼を彼にしてから。不安定すぎる彼をもとの彼に戻してから。私のことはその後でもいい。
「真面目に応えてほしい。君は一体何なのか。どうして僕をそこまで知っているの?僕の記憶では君にあった覚えは今日を除いて一度も無い。しかも僕の名前とか、他にも知っていることが多すぎやしないか?不思議すぎるんだよ。なんで君は、何で君はこんなにも僕のことを知っている?」
「知ってるよ。普段じゃ強がって俺っていうのに、こういうところでは『僕』っていうことも全部知ってる。」
彼に再び動揺のしぐさが見られる。その姿が何故かすごく愛おしく思えた。ずっと見てきた彼の姿を内面からでなく、外面から見れる。そして、私は今彼の中の傍観者ではない。彼の運命を変える一人の人、『存在あるもの』として実在してる。少なくとも彼だけの前には。
彼の目は、全てを見透かされてしまった哀れな弱い人。少し頭の中が抜けてしまっている。彼はどうしても解けないような謎があると、頭がぼ〜っとして目の焦点が合わなくなる。
彼の感情・理性は今どうなっているんだろう?
中にいた頃より、遥かに感じる感覚は小さなものになっている。それでも分かるものがある。あなたは私を認める。もしかしたら、彼の持っているナイフに刺されるかもしれない。感情を察する。理性を察する。彼は今私を殺したいはずだ。彼にとって一番の敵は、心を見透かす。自分の弱さを知られてしまうことなのだ。彼の複雑さはそこらへんの人には分からない。外では自分の位置を獲得するために必死で嘘をつなげて、家の中でも母や父、姉には全く心配させないよう、不安定な自分を前に出さない。一人になったときが最も弱く、そして彼が最も強くなる場所なのだ。
「私が怖いのかな?唯君。君を知っている私が、怖くて仕方ないんだね。そうだよね、何とかいいなよ?」
明らかな挑発。私が、彼に殺されるかもしれない。彼はどっちを選ぶだろう。感情か、理性か。そのポケットの中のナイフは私をどう陥れるだろうか。彼は私を認めてくれるだろうか?ここは外だ。私を刺したら彼は強くなれる。最大の敵が消えるのだから。でも刺したら最後。社会的に死亡。だ。
「何とかいいなよ、ふふっ、君の右ポケット。何が入っているのかな?君のしたいことくらい分かるさ。殺したいのなら、殺せばいい。でも私は、今まで君が殺してきた君とは違う。本物さ。」
「―――っ!」
それでも彼は強かった。心の中で私を殺したに違いない。それでも彼はやっぱり強い。社会的に死なずにすんだ。
彼は持っていたナイフを誰もいない公園に放り投げた。
「べ、別に殺したりしねぇよ。」
「よかった―――」
安堵したのは私よりも彼だ。私をまだ脅威として感じているのは違いないだろう。それでも彼は今、私の大好きな彼だ。
「だけど質問には答えろ。お前は何だ。」
「お前じゃなくて、沙耶ですぅ。」
面倒な質問を避けるのは得意だ。現にもともと私は君だったのだから。話をそらすのも彼が周りから疎外されないための手だったのだから。ずっと見てきたんだ。だから嘘のつき方なんかも知っている。ゲーセンで上の連中に絡まれたときの逃げ方とか、ノリ悪ぃとか言われないようなイベントの断り方とか。それでもこの質問については別問題らしい。逃げれないかもしれない。
「じゃぁ沙耶。何で俺に付きまとう?」
「『俺』じゃなくて、『僕』のほうがいいよ。唯君♪」
彼は頭を抱える。まぁ実際には抱えていないのだが、絶対に頭の中で、あきれているに違いない。
「あぁ〜っと・・・いいや。もう聞かない。」
勝った。それじゃぁもう一押しだ。
「そう、よかったわ。あ、でもちゃんと僕って言ってね。」
「あぁ、わかった。」
「それじゃぁ今度は私からのお願い。私の恋人になってください。」
「はぁ?」
「何度も言わせないで。私の恋人になってって言ってるの。それとも何?私じゃ不満。さっき言ってくれたよね?残念なことにメチャクチャタイプだって。」
「残念じゃなくて最悪だ。」
妙に修正されてしまった。ほんの些細なことなのに少し傷ついた。そんなにも私との出逢いは最悪だろうか。
「最悪でもいいから・・・恋人にして。」
彼は頭を抱える。もちろん何度も言うとおり表には出さない。彼はモテる。だから今まで付き合ってきた女の子はたくさんいるのだが、結局最後はふられているのだ。わたしもよくよく考えれば一人の女の子なのである。でも、それは違うのだ。私は彼についていく自信が有った。ずっと一緒に。彼を元に戻すまで。戻してからもずっと入れる自身が会った。最初から分かっていればもっと計画的にやっただろう。まだ不思議でしょうがない。何故私はこの世に存在しているのだろう?とっても不思議だった。どうして、と考えると、彼を救うために生を受けた、と答えるのが一番合理的だろう。
「あのさ、何度も言うけど、何で俺なの?」
この質問は付き合った彼女みんなに言っている質問。弱い自分を見せたくない。極力外部との関わりを持ちたくない。だから彼はこの質問で付き合う、付き合わないを決める。いや、関わる、関わらないを決めるといったほうがいいか。
この質問の一番いい解答は何だろう。貴方に一目惚れしたから、などといったら確実に彼は避けるだろう。もっと彼の事を詮索せずに、尚且つ、きちんとした理由をもった理由。彼が望む理由。
「君のことを知らないから。」
そう答えが出た。
「バカ言え、お前。さっきから俺のこと見透かしすぎなんだよ。」
「怖い?」
「バカか。」
本当はすごい私のことを恐れてる。逆だ。逆をつくんだ。
「私が変えてあげるよ。あなたを。唯君を。」
「どういうことだ?」
「あなたは私を絶対に恐れている。それはナイフで私を刺せないほど。私は社会的でなくて、動物的にあなたに恐れられる存在よ。私は味方につけて置いた方がいいわよ。あなたに絶対を誓うわ。信じて。だからあなたも変わってほしいの。」
「―――っ。」
言葉につまっている。彼は変わっていく自分を一番知っている。私はあくまで傍観者。彼を2番目に知っているってだけ。毎日毎日、自分を殺さないと生きていけない狂った自分を一番知っている。全く無垢で愛嬌のあったあの頃の自分との変化を一番知っている。私の何倍も。自分を一番よく知っているのは、自分自身なのだから。でも私は力になりたい。私は君になれなかった君だって信じているから。でも今は、彼を出来るだけ信用させなくてはいけない。不安定な彼を、私がどれだけ癒せるか。彼がどれだけ私に心を許してくれるか。
「全部知っている。あなたの優しさ。でも、どうして変わってしまったのか分からない。私にも。だから話してほしいの。私の見てきたあなたは今のあなたじゃない。ねぇ、唯君。私のところにおいで。私はあなたの味方よ。」
嘘をついた。本当は何も知らない。人よりちょっと君に詳しいってだけ。でも、本当のことも言った。私は彼の味方だ。
泣きそうな彼がいる。今にも崩れ落ちてしまいそうな、弱い人間が。か弱い存在がひとつ。
「俺だって、変わりたくなんかないんだ。でも変わらなきゃ生きていけないんだ!世界が僕を変えたんだ。世界が―――。」
「ダメ。言っちゃダメ。世界は悪くない。確かに周りの人間に合わせるには、自分を変えるしかない。世界に従順じゃなきゃダメ。でも変わらないのもだめだけど、今の君は、今の唯君は変わっちゃいけない。人間になってる。一旦戻して、変わる自分を楽しまなきゃ。自分に還える事だって立派な変化だよ。」
彼の目から涙が零れていた。体育座りで両膝に顔を俯きませ、それで泣き声をかみ殺して泣いていた。地面に大粒の水滴が落ちるのが分かるほど。無音の夕暮れにはその音が大きく響いた。
「私がいる。」
立ち上がって後ろから彼を抱きしめた。首元から体温が伝わってきた。とても暖かい彼の熱。
「あったかいね。唯君のとこ。」
「冷てぇんだよ。お前が。―――でも、すげぇあったけぇ・・・。」
彼の鼻をすする音が聞こえる。
泣いているのか。
「うん。泣いていい。」
「泣いてなんかいねぇよ。」
「うん。」
「―――」
「―――」
まだ春の訪れは遠い冬だった。寒い北風が私たちの前を通り抜ける。そのせいもあって彼が余計に暖かく感じられた。涙を見せなかった彼の久しぶりの涙だ。どんなに辛くても、どんなに痛くても、どんなに苦しくても彼は泣くことはなかった。涙は彼に似合わない。それでも彼は泣いてくれた。私が彼を泣かした。それは彼に私を認めさせたことになるのだろうか?認めさせたいのではない。彼を変えたい。どうしても今のままの彼を見ていられなかったから。今の彼は本当に見ていたい。尊い。私がずっと見たかった彼じゃない彼。本当の涙を流してくれた、大好きな唯君。
冬が寒くて本当に良かったと思う。とっても彼を温かく感じた。感じられた。周りの寒さが二人を包み込んでくれた。もうすぐ日が暮れる。時間が経つのは早い。尊い時間ほどあっという間に過ぎ去ってしまう。でも今は、彼を離したいと思わなかった。どんなに時間が過ぎても、彼と一緒にいたかった。彼を一人の別人として本当に恋をしていたからに違いない。
知らず知らずの内に私も泣いていた。理由は分からない。ただひたひたと涙が零れていた。
* 沙耶 *
「もういく。ありがとう。」
「あ、あっ、うん。」
もう陽は沈み残照だけが冬の空を照らしていた。紫色と茜色の空はやがて、黒色の空へと変貌を遂げる。
「すまない。」
彼の涙はもう枯れていた。冷たい北風が涙を枯らしてしまったのだ。
「謝る必要なんてないよ。唯君は今とっても私の好きな唯君だよ。もちろんいつもの唯君も大好きだけど。」
「なんかやけるな。」
一番最初あったときとは分けが違う。疑う顔じゃなくて素直に私を受け入れてくれたのか分からないけど、とにかく最初とは違う。
「もう帰るよ。悪いな。んじゃ。」
彼はその場と立つと、尻についた土ぼこりを、手ではたいた。時刻はまだ5時過ぎだったが、周りは暗くなりつつ、空は茜色からだんだん藍色に変わっていっていた。呑み込まれそうな藍色だった。雲がほとんどないわりに星など全く見えない。澱む空に、澱む都会。
明るすぎる駅前のビル街やパチンコ店のライトが星をかき消していた。また、あちら側に戻らなくてはならない。向こうにいったら、また彼が彼でなくなってしまう気がして怖くなった。
「待って、唯君。」
立ち去ろうとしていた彼を呼び止めた。不安になってとっさに出た反応だった。といっても別段、彼を呼び止める理由もない。なんていったらいいか分からない。これ以上帰りが遅くなったら、それはそれで親御さんたちが心配するだろう。彼に何か言わなきゃいけない。
「何?」
「ゆ、唯君。もう、自分を殺しちゃだめだよ。」
とっさにこの言葉が出た。
沈黙がまた私たちを包み込んだ。また続きにくい、微妙な空気が流れた。でも彼は反抗しなかった。私を殺そうともしなかった。ただ、にっこりとこちらを向いて微笑んでくれた。
「ありがとう、我妻さん。」
「沙耶って呼んでよ。さっきだって沙耶って呼んでくれたじゃない。」
「あはは、そうだね。」
「もう。」
今の彼は、限りなく彼だった。私が望む彼のひとかけらだった。どうか崩れないで、と心の中で願った。
「ねぇ、沙耶の家はどこ?」
「えっ、あぁ。秘密よ。」
一瞬、本当に焦った。いきなりどうしようもない質問をされた。
「彼氏なのに秘密なのかよ。」
秘密、ってことでここは誤魔化すしかなかった。そんなことより嬉しいことがあった。彼のセリフだ。
「あっ、彼氏って言ってくれた。」
「え、ダメなのか?だってさっき。」
「へへ、嬉しいな。そうだね。私は君の彼女だね。」
「変なヤツ。」
「あなたの恋人よ。唯君♪」
純粋に楽しかった。彼が変わってくれるって。元に戻ってくれるって本気で信じた。いくら長い時間がかかっても彼を元に戻そうと、彼の闇を消し去ってあげようと。そう誓った。
家のことは何とか誤魔化してこの場を切り抜けた。ずっと西に住んでる、って設定で彼と別れた。彼がまた闇に襲われないようにと祈りながら。純粋に幸せだった。
「メアドとかないの?何時会える?」
「ないわ。でもいつでも逢える。逢いたくなったらここに来て。」
「殺生第三公園でいいのか。」
「うん。ここにいる。」
「いやでも、普通あえないだろ。」
「ううん。逢えるよ。だから来て。いつでもいいから。」
彼はかなり戸惑った表情を浮かべる。それでも彼は信じてくれたのかもしれない。でも今の彼は弱い。だから信じるほかなかったのかもしれない。
私の知らないうちにも、私は彼の支えになってしまっていた。だから彼は、疑いの目を捨ててくれた。
「わかった。明日も来る。―――必ず。」
そういってくれた。とても嬉しかった。彼が私のことを信用してくれた。大好きな彼が私のことを信じてくれた。それがすごく嬉しかった。「必ず」という最後の付け足しの言葉も、私に響いた。
「うん。待ってる。」
そう言い返した。
でもこの時だっただろうか。妙な感覚を覚えた。この私の言葉が、とても嫌な、そんな感覚がした。
彼が立ち去ってゆく。あまりにも東のほうは眩しかった。日はもう完全に沈みきっていた。そのせいで駅前のビル街の明かりが余計に際立って光っている。西口のほうは、東とさえ切られた駅の壁の陰で暗い。とても陰湿で気味が悪くなる。ほとんど飛行機など飛ばない基地は、しんとしていて、ボロボロの家屋街は本当に静かで物音一つ立たない。ただ田畑が広がり、一部はごみ収集場となり。本当に何も無いに等しい。彼がまた壊れないようにと願いながら私もそこを去った。
後ろから声が聞こえた。誰もいないのに彼の声がした。
「あーあ、女って分からない」
って。
* 沙耶 *
今思ったが大変なことに気づいた。私はこの先どうすればいい。いや、そんなシリアスな意味ではなくて、普通にこの先どうすればいいか、だ。どこで眠ればいいかとか、お金もないのに、どう食事を取ればいいのだとか。来ている服だって洗濯しないといけない。毎日会うとしたら、同じ服では不自然だろう。今思うと、この服は彼がよく着る、ジーンズとパーカーにそっくりだということに気づいた。もう少し女の子っぽい服が良かったなと思った。
しかし、そんな事を考えても何になることもない。今日は寝ることにした。
「ってどうすりゃいいんだ。」
と自分につっ込んで、公園の端にあったダンボールを拾って、ベンチもないので、誰もよってこないようなところを探して、木の下の風が入ってこないようなところに、ダンボールを敷き詰め、そこに床をとることにした。
「おやすみ、唯君。」
寝心地は最悪だったが、意外とすぐに眠れた。寝る感覚ってこういうもんなんだ、という今までに味わったことのない感覚を味わっているからだ。彼の中で眠る眠りとは違う、自分だけの眠りだった。思い出せば全て新しい感覚だった。風に当たったり、草むらにねっころがったり。とても風が清々しかった。とてもいい草の匂いがした。
* 沙耶 *
「私が望むものは何?」
そう聞いてきた。それは私の中の私。考えたこともなかった。私は唯君の中にいたのだ。唯君の中の人。でも唯君に全く交渉できない存在が私だったのだ。だった。今の私は彼とは別の存在。だから私は私を考えることが出来る。
夢を見た。夢を見ていたんだ。そうしたら夢の中で私に問いかけてきたのだ。
「誰―――。」
「私―――。」
「私―――?」
「そう、私。お願い。質問に答えてほしい。あなたは何を望んでいるの。」
「あなたが私なら、そのくらい分かるでしょう?」
彼女は、もう一人の私は考え込んでいる。何を言いたいのか?腕を組んで、いかにも考え事をしているかのように。
「私には分からない。あなたが何を考えているのか。」
「何で?唯君を変えたい。昔のように戻したい。そうじゃないの?」
「―――私はいちゃいけない。彼のためにならない。」
そういい残すと突如地面が抜けた。いや、目が覚めた。立てていた膝が急に伸びたせいで、落ちる感覚に襲われたのだ。
「―――」
言葉が出なかった。もう既に日は出そうとしており、夜明けちょっと前の瑠璃の空。それが広がっていた。冬なので時刻は6時を回ったところだろうか。昨日の寒さと違い、暖かい風が流れてきた。でも、決して気持ちよくはない、生暖かい。そういう背中をぞくっとさせるような気持ち悪い風だった。
変な夢を見た。そう考えて終わればよかった。無駄に、彼女が言ったことを、私の中の私が言ったことを読むんじゃなかった。私はあくまでも仮想だ。彼の中にいた、存在無き者だ。ただ存在してしまった存在無き者。ニセモノだ。彼はニセモノに助けられて生きていくことになる。本物でない、まがい物。本物である現実に、ニセモノが干渉しちゃいけないんだ。そう考えると、昨日の私の中の私が、脅威に感じた。脅威とは、こんなものなのだろうか。初めて味わう感覚。彼の中で何度も味わってきた脅威とは違うリアルな脅威。そんなものを感じた。怖い。そう思った。これも初めてだった。
「私は―――私は、彼のためにならないの?」
ただの夢なのに必死で考えこんだ。私の中の私がとても怖かったから。逆らえそうになかったから。彼を助けることは彼のためにならない。そういった。でも今の彼はおかしい。とても人の手がないといけない。でも何となく彼女の言いたかったことはわかった。いったのは私だってことも。彼を変えるには、彼自身が変わらないと意味がないのだ。私がどうしたところでどうしようもないのだ。ただその手を差し伸べてあげることは出来る。それが私の役目。だから、それをするだけ。後は彼に干渉しちゃいけない、ってことを私はいったんだ。私も気づいていたんだ。
だけど困った問題が起きた。これは私が存在してしまったために起きた現象だ。存在したことは=彼に変われるだけの手助けをする。それでよかったのだが・・・、どうしようもない問題が起きた。単純なことだ。彼を、唯君を好きになってしまったのだ。異性として、別の存在として、彼を好きになってしまった。これが最大の問題だった。もちろんこんな感覚も始めて。
中にいたときと違う、別存在としての彼が、とても愛おしかった。
今日も彼はここに来てくれるだろうか。
彼はまた自分を殺していないだろうか。そういうことが不安になる。存在することも楽ではない。
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