三章 Bedrohung



「目は覚めたか。」
 突然低い声が後ろから聞こえてきた。
 背が高くて、黒服で、目に傷を負った男。
「あ、ああ。」
「ツバメ。」
 振り返ると、そこには空と草原と黒い線。
「ハルカのことは、信じてやれるか?」
 男は安藤に低い声で問う。
 ハルカが、少し動揺する仕草を見せた。
「ツバメ。別に、別に私のことはいいの。」
 安藤には、なぜかハルカが自分のことを責めているように見えた。
 ハルカから目をそらし、男の方を見る。
 自分の知らないことがまだたくさんある。世界も何もかも。まだここにいる自分さえもハルカの存在もよく分からない。
「聞きたいことがあるんだ。ハルカを信じることは信じる。それに、ハルカは―――。いや、そんなことは、どうでもいいんだ。どうしてこの世界に俺を呼んできたんだ?」
 男はうっすらと笑う。
 嗤わられている気もした。
 まるで、おかしいくらい似たものを見たときこんな感じになるのだろうか?
 そんなときに出るような笑い方だ。
「ハルカの話は信じてやれるんなら、俺のことも信じろ。」
 それは答えを教えてくれるということなのか?
 それともこれ以上踏み入ってはいけないことを表わしているのか?
 安藤は選択を迫られたのか。自分でも迷う。
 でももう答えは決まっている。あの時声をかけたときから、もう全てが始まったんだ。始まりを受け止めなきゃいけない。
「あぁ。わかった。」
 だから聞くことにした。
 全てを信じることにした。
 それは間違いじゃないと、安藤自身が思ったから。
「それじゃぁ聞け。」
 ツバメは、またうっすらと微笑むと、1つ咳をして話し始めた。
「よく分からないかもしれないが、一つ言って置く。お前は、俺だ。リ・フレクトの俺が、リ・アルだとお前だ。攪止となる世界だ。お前を原点として反対側にいるのが俺だ。でも実際のところ原点とは少し違う。俺はまだ自分の居場所がよく分からない。お前と同じだ。どこが正でどこが負なのか見当がつかない。ただ一ついえることが、その原点をまたげる力がある奴らが、俺やハルカにはある。そういう奴らのことをここじゃ『イデア』って呼ぶんだ。そこのところはハルカから聞いたか?」
 あぁ。確かそんな事を言ってた気がする。
 安藤は、あの校舎の裏門での話を思い出そうとしていた。
 ただ、あの時の変なハルカを思い出せなくなっている。ハルカが変だ何て思えなくなっている。
「言葉はあるけど、意味まで聞いてない。」
「そうか。ハルカ!お前はもうちょっと不安定なところと語学力を直せ。」
 ツバメはハルカに少し口煩く言った。
 偏差70代の神酒qに編入できるくらいのハルカの学力で抜けているところはきっとそこなのだろうか?
 ただ、本当に編入試験で神酒q高校に入ったのかは知ったことではないが。
「あぅぅ。ごめんなさい。」
「ハルカを責めないでやってくれ。俺がもうちょっと聞く耳を持てばよかったんだ。」
 ただ、それでも、今はハルカを疑えなかったし、責めることも出来なかった。
 信じると誓ったから。
 それだけなのに―――。
 安藤は自分でもよく分からなくなっていた。それでも信じるべきものがあるから、こうしてこの世界に居れる。そんな気がした。
「まぁいい。なぁ安藤司。今俺が言ったことから、俺が何が言いたいか分かるか?」
 現代国語の問題か?
 違う。これは安藤自身に突きつけられた環境だ。
「俺も、その―――、イデアだってのか?」
 答えは一瞬にして分かった。
 当たり前だ。当たり前の事実と疑惑だ。
「その通りだ。」
 正解。
 ただその正解は信用できるものでもない。未だに夢だと思いたい。
 でも信じたい。
 ハルカを。
 だから、疑って、疑って、疑って―――。それでも全てが矛盾しないのなら、俺はハルカを本当に認められる。
 安藤はそう思った。
「じゃぁこっちだって疑問がある。なんでその力があるだけで、俺をわざわざこの世界につれてくる必要がある?」
 最大の疑問だった。
 安藤はこの質問にかけていた。
 この問いかけの答えで―――。
 ツバメは、こちら側に歩いてくる。安藤とハルカの間を抜け、ツバメの背景がシャングリラの白い巨塔と重なる。
 口元が動く。
「能見瑛だ。」
 言い放った一言に心臓を射抜かれた。
 そんな気がした。
 血の気が引く気がして、心臓の鼓動が速くなったり遅くなったり。ありえない動揺が安藤を襲った。
 なんで?
 What? Why?
 えっ?
 いろんな疑問符が脳内を駆け巡る。
「知ってるな?というより知らない方がおかしい。能見瑛をお前は知っている。」
「瑛が―――、瑛がどうしたっていうんだよ!」
 安藤は自分でも気が付くぐらい、動揺してるのが分かる。声だってさっきと違って全然まともに出てくれやしない。
 手先は自分のものじゃないように震える。
 またあの時みたいに。
 ハルカを知ろうとしたときみたいに、自分の周りの世界が怖くなる。
「詳しいことは後で話す。簡単に言うと、この世界は能見瑛とΣによって結ばれた世界だ。原点に限りなく近い二人は、この世界で唯一の鏡の存在だ。イデアってものはな、一応形のある存在なんだ。エイドスっていう、普通の奴らから、その、なんていうんだ、少し秀でた存在っていうのか。ただ歪みが少ないっていうのか?そういう奴らだ。難しいかもしれないが、三次元のユークリッド空間で言うなら、原点を通ってしまう曲線だ。その線上に存在するのが俺らだ。ハルカも。お前も。」
 おい。日本語でいいんですけど―――。
 安藤は、必死でその言葉を理解しようとした。中学校で、必死に国語の文章読解を勉強していたあの時より頑張ってんじゃねぇか?
 そんな事を思ったりしながら。でも真剣に。真剣に信じたいから―――。
 つまり、俺は・・・。
「お前は世界を繋ぐ原点のラクリマの中を通ってこれた。普通のヤツがあの扉の中に入ったら体が耐え切れなくなって消えてなくなるだろうな。」
 要は、俺が一種の関数だとしたらy切片は0ってことか?
 安藤は、単純にツバメの言ったことから、全てを分かろうとした。が例えが難しすぎる。どことなく解かる様な気もするが。
「じゃぁ、お前が俺だって言うその根拠は何だ?」
 ツバメは、にやついた。
 でも目は真剣だ。いいたいことが何も読み取れない。真なのか偽なのか疑えないような顔をする。
 安藤は戸惑った。
 答えて欲しいとは思わない。でも、答えてくれなかったらどうしようという不安が頭の中をよぎる。
「俺とお前が一つの曲線上にいる。その根拠―――ねぇ。」
 間。
 久々にこの黒い男が話す間に、間を取った。
 最初の出会い、いや、二度目の出会いのときもこうだった。何を溜める必要がある?早く言ってくれればいいのに。
 コトバをどう吟味してるのか推敲してるのか。
 してるのだったらそういってくれればいい。黙らないでくれ。
 強気・焦燥・緊張。安藤の周りにいくつも感情が纏わりつく。
 1分して、ようやく男は口を開いた。60秒がとても長く感じた。
「関数でも直線でもない、ただの曲線の上にお前と俺がいる根拠。ははっ、簡単なことだ。なぁ?ハルカ。」
 男は―――、ツバメは話をハルカに振った。
 ハルカも、安藤とツバメの共通点を知っている。二人が1つの曲線上に位置してしまったことを知っている。
 まさか、ハルカと二人が話しているからとか言うオチじゃないだろうな?
「ツバメ。それは―――。まだ言わない方がいいんじゃないの?」
 やっぱり何かを知っている。
 知っていて欲しいとは思わなかった。でも知っててくれてなぜか安藤は嬉しかった。
 何故だ?
「一刻を争う自体だ。」
 ツバメが言った一言に、安藤は少し引っかかった。
 やはりここに連れてきたのは、何か大事な事情があるからなのか?
 ハルカもツバメも、安藤も黙りこくってしまう。
 風が草原の草のざわめく音を鳴らす。
「ツカサ。来てほしい。シャングリラに。ここの環境を知ってほしい。」
 ハルカが心に何かを決めた気がした。
 安藤は、そんなハルカを見て、これからの不安に対する自分の弱さ・虚しさ・焦り、濁ったような感覚。
 ハルカを信じたい。
 透き通る感覚はそれだけ。今は頭の中で、その感覚が曇った空を裂いた穴から見えた、青天の空のように。
「シャングリラ―――。か。」
 ウヨキウトの街は遠い。
 小さく見えるあの白い巨塔は、どれ程の大きさになるのだろうか。近すぎると大きさなんて分からないのかも知れない。  シャングリラ。理想郷。
 その名前から察した。
 全てが始まる。あそこは、何かを求めるために創られたんだ。
「ハルカ。そいつを連れて、先に行け。俺は少しやることがあるからなぁ。」
 ツバメの命令を受けるように、大きく頷いた。
「分かったわ。」
「それじゃぁな。また後で会おう。安藤司―――。」
 そういうと、ツバメは草原の向こうへ去っていく。青い空と、うっすらと小さく山が見えていて、その真ん中に黒い線が1つ。
 さっきと同じ。
 ヤツには黒が似合う。まるで俺みたいだ。
 安藤は、だんだん小さくなっていくその黒い線を、ゆっくりと見送った。
 どこへ行くのかもわからないけど、もう聞くことも無いと思った。本当は聞きたいことが、まだ嫌ってほど有るのだが。
 ツバメが見えなくなり、安藤が振り返ると、ハルカは片手を大きく上に掲げている。ハルカの体が、シャングリラと被り、なんというか、自由の女神みたいな。でもそんな笑えるノリじゃなくて。
 ハルカが、正義の味方に見えたような・・・。世界を救う勇者に見えたような・・・その刻だった。
 違う。
 その刻が来た。
「ゼロ―――!」
 ハルカが、天高くに大きな声で叫んだ。
 声はどこまでも響き渡るようで―――。
 ハルカやツバメがであったときと同じ、あの冷たくて強い風が吹く。目が開けられないような強い風。
 草木がざわざわ鳴り響く。
 どうしても目が乾燥を免れようと無意識に涙が出てくる。
 滲む景色の中、手を掲げ続けるハルカを見た。
 そのとき、安藤の勝手な想像かもしれないが、ハルカが「見ててね。」と口が動いたような気がした。
 空を見上げた。
 刹那、黒き使途が舞い降りてきた。
 風が強く吹きしめた。
 風が止んだときには、安藤とハルカの前に、黒い巨兵が佇んでいた。ハルカを慕うような格好で跪き、その場に止まった。
 安藤にとってそれは脅威だった。
 ロボットが嫌いなわけじゃない。ただ実際アニメや特撮なんかに出てくる巨大ロボットが現実に出てくるなんて想像もしていない。
 それもそのロボットを呼んだのは、他でもないハルカだ。
 これが俺に見せたかったものか?
 なんかの脅しか?
 安藤はまた戸惑った。もう迷わないと決めたはずなのに。
 もう迷わないはずなのに。
「ふぅ。」
 ハルカはその巨兵の前に立ち、安藤を見て微笑んだ。
 まるで自分の長所をさらけ出す時のような、薄い笑顔。でもどこか憂いの見える、その笑顔で。
 安藤は、ただ茫然とハルカと、ハルカの後ろに佇むロボットを見ていた。
「ハルカ。なんだよ、これ・・・。どっから出てきたんだ?こいつ?」
 口が開いたのは、しばらくたってからだった。
 ほとぼりが冷めても、しばらく心臓の高鳴りは安藤自身の意思ではそう抑えられるものではなかった。
「『こいつ』じゃないわ。この子はね、なんていうのかしら・・・、その、最終兵器っていうのかなぁ。あはっ、なんちゃってね・・・。ラウム零。私のメルキルフレーム。名前はゼロ。私の大切な友達だよ。」
 メルキルフレーム。
 なんだっけ。あれ、確かそんなフレーズをどこかで聞いた気がする。どこだっけ?
 思い出そうとしてた。その時。
「覚えてる?ツカサ。私、ほら!嘘ついてないよ!」
 そうだ。
「あぁ。覚えてる。」
 ハルカが変だと思ったときだった。
 安藤は思い出していた。ただあまり思い出したくも無かった。ハルカを信じれなかった自分がいたことが恥ずかしかったからなのか。
 理由はわからないけど。なんとなく気分が良くない。
「来て!ツカサ!」
 ハルカは安藤の手首を掴むと、その黒い巨兵の前に連れて行く。
「Hey! Zero! Taken in you!」
 ハルカが大きな声で叫んだ。
 違う。こっちへ来てと、友達に呼びかけるような。
 すると、その黒い巨兵は、安藤たちに向かって手を差し伸べてくる。あまりにも奇妙な光景と、きらきらと目を輝かせるハルカを見て、安藤はまた頭の中での状況の整理が追いつかなくなっていく。
 ハルカは、地にまで差し伸べられた、巨兵の手のひらの上に乗ると、
「ツカサ!」
 手を差し伸べた。
 その手に吸い込まれるように、安藤はその手を取った。
「わぁ。」
 その巨大な手のひらに乗せられると、ハルカの黒き友達は、その掌を自分の胸の近くに運んでいく。
 すると、近づくにつれて、胸部が少し開いてきた。
 中にはコックピットが見える。操縦桿やペダル。他にもその中には、たくさんのテレビ画面がある。
「お、おい。これ、なんなんだよ?」
「詳しいことは後で。とにかく今はこの子に乗って。」
 安藤はハルカに手をひっぱられた。
「ぁう、うぁあ。」
 痛っ!
 1メートルくらい飛んで、その黒き巨兵の中に飛び込んだ。
 うまく着地は出来たものの、機体のどこかにファニーボーン(わかる?あの肘の骨の、ぶつけるとすんげぇ痛ってー部分)をぶつけた。
「うぐぁ。」
「ツカサ。しゃがんで。」
 安藤は言われるがまま、コックピットの座席に腰深く座った。
 バタッっと、機体の扉が閉まると、鍵の掛かる音がして、目の前に、大画面のテレビが現れ映像が映された。
「ぅよいしょ!」
 うぬぁ!?
 安藤の上に、ハルカが座った。ついでに頭もぶつけた。
 予想以上にハルカは軽い。華奢な体つきのハルカだが、座られた感覚は、綿のように軽く感じた。
 女の子って、こんなに軽いものなのか?
「ツカサ。行くよ。掴まって。」
「えっ。」
「動作状況、正常。燃料満タン!行くよ、ゼロ!」
 コックピットの中は、二人が入るには明らかに狭すぎる。というか完全に一人乗りであることは間違いが無い。
「掴まって!」
「どこを!?」
「私を後ろから抱きしめてて。ベルト二人じゃ届かないからちゃんと掴まっててね。」
 エンジンの音がする。
 パソコンがデータを読み込むような起動音も聞こえてくる。
 目の前の画面には、六つか七つの画面が映し出され、中央の画面には、今このロボットが見ているであろう景色が映されている。
 右上の画面に、あの白い巨塔が映っている。
「行っくよ〜〜〜!ツカサ!」
 安藤は、恥ずかしいけど。でもハルカを信じる意味も含めて。要は決して疚しい感情なんか無いんだということを、心に誓って―――。
「あ、あぁ。」
 ハルカを後ろから抱きしめた。というよりも腰に手を回して掴まったといったほうが正しいだろうか。
 とにかくものすごい勢いで動き出した。
「うああああぁぁぁぁぁーーーーー!」
 速い。
 え、つーか速い。速い!速ぇ!!!
 安藤はジェットコースターにでも乗ってる気分だった。ただものすごく速いのは解かっているのに、なんでこんなにハルカも自分も大丈夫なのか少し疑問に思った。どういう仕組みになっている?
 ここは科学も進んだ世界なのか?
 安藤はそんなことを思ったりしたが、ハルカの髪の毛が目の前にあるせいか、ドキドキが止まらない。
「シャングリラまで3分も掛からずにつくわ。ちょっと待ってて。」
「あ、あぁ。」
 安藤は、さっきあんなに遠くに見えていたところにわずか3分でつくことを聞かされると、驚きと落胆があった。
 もうちょっとこのままでいたい気もする。
(待て、自分に正直になるな。クールに。そうだ、クールに。)
 葛藤していると、画面の横にCallingという文字が出てきた。
「はい。こちらハルカ。」
「こんのドアホ〜〜〜!お前なぁ!メンテナンスしてるときに、いきなり呼号すんじゃねぇよ!墜落してもしらねぇぞ!こらぁ!」
「ファウラー。ごめん!でも私なら大丈夫よ。」
 テレビ電話か?画面に映ってきたのは、つなぎを着たいかにも気の強そうな女の子だった。この世界には、女子たちがこんなに機械をいじくってるのか、とまた疑問の文字が安藤の中に浮かんだ。
「あぁ。あ?後ろにいんの誰だ?つーかメルキルフレームに二人乗るとかお前死ぬぞ!」
 その子は相変わらず大きな声でハルカを叱咤する。
 その時だった。後ろからでよく見えなかったが、ハルカがテレビに向かってものすごい真面目な顔をした気がした。
「安藤司―――。」
 そして安藤の名前を呟いた。
 テレビに映るつなぎの子は、明らかに動揺した様子を見せた。
「あ、そ、そうか・・・。まぁ、早く戻って来いよ。」
 ぎこちなくそういうと、電話を切った。
「なぁ、ハルカ。今のは?」
「ファウラーって言うの。シャングリラでメルキルフレームの整備をしてくれてるわ。あれでも相当偉い子なんだけどね・・・。私はちょっと苦手かも。全然名前で呼んでくれないし、あんまり好きじゃない。でも頼りにはなる子だよ。」
「あぁ。まぁ、そうだろうな。」
 新しい世界。
 新しい空気。
 信じられないのに、ハルカの近くならなぜか信じられる。
 安藤に、どこからか自信と期待が溢れ出てくる。理由なんかわからない。信じられない、ありえない現実がありえるのは何故だろう?
「ハルカは、なんつーんだ。その・・・、メルキルフレームをどうやって操作してんだ?なんか免許とか取ったのか?」
 ハルカは首を軽く横に振った。
 安藤のほうを見ると、少し笑って。でも少し憂いを浮かべて俯いて。
「免許なんてないし、操作なんて簡単よ。私はね、ゼロに、この子に選ばれて戦うことを誓ったの。」
 選ばれた?
 ロボットに、か?
 安藤の頭に、また。もう嫌ってほど疑問はあるのに、また疑問が浮かんだ。
 異世界と科学技術の次は、だいぶメルヘンでファンタジックなものが出てきたなと。
「選ばれた、ねぇ。」
 作り笑いをするしかない。
「どうやってさ?」
 答えは期待してなかった。
 期待してないけど、説得力のありそうな答えを内心は求めていた。でもハルカならもうどんな答えが返ってこようとも信じる。
 そう誓う意味も込めて。この世界のことを一刻でも早く知りたいから。
 ハルカのことも、できるだけ早く。そしてたくさん知りたいから。
 答えは、本当に簡単で単純で、簡単で単純で、そして簡単だった。
「簡単よ。乗ったから。乗ってみたら、この子が私を選んでくれたの。それだけよ。本当に、それだけなんだから。まぁ、本当は政府の人たちが、この子と相性が合う人を必死で探して見つけられたのが私なんだけどね。でも相性なんてさ、実際に乗ってみないと分からないじゃない!で、乗ってみたら風になるように気持ちよくて―――。この子がきっと、私を選んでくれたんだよ。そう信じたいわ。」
 とてもハルカらしい答えだった。
 安藤は安心した。期待した答えじゃなかったけど、それでも応えを聞いて心が安堵していった。
 安藤の求めたハルカだ。
 ハルカのことをどんどん知っていくことができるようで、本当に安心した。すごく心が嬉しい。
 そう心臓が鼓動している。
「ハルカは、いろいろ俺に無いものを持ってるな。ほんとにすげぇよ。」
 ハルカは、すごい。
 褒めた安藤に返ってきたのは、ちょっと聞き取り辛い。でも確かに響いた気がした。
「うふっ、あなたもよ。ツカサ。」
「えっ?」
 もう一回言ってくれ。
 安藤はハルカの言った言葉がよく分からなかった。
 それにハルカと安藤自身は違う。違うからハルカを追っていける。
 だから―――。
「うわぁ!」
 機体が一気に速度を上げた。
「さぁ。さっさと行くわよ。ちゃんと捕まってて。頭打ったら痛いから。」
「もう打ってますけど・・・。ハルカ・・・。」
 今、風になる―――。
 このメルキルフレームに乗っていても、髪はなびかないし、風の冷たさも感じない。でも空を飛んでいる気分になれる。
 安藤はそれがとても心地よかった。
 さっきまであんなに遠かった白い巨塔が目の前に近づいてくる。
 1000メートルはあるのではないかという高さだった。こんなに高い塔が、立っていたなんてさっきの場所からは想像もつかなかった。
「あ〜らよっと!」
「ぅおぉっと―――。」
 いきなり減速した。
 二人乗りのせいでシートベルトをしていないせいなのか、思いっきり体重が前のほうに言ってしまった。
 あ―――。
 うぐぁ―――。
 む、胸がぁ―――。
 胸があああぁぁぁ―――。
 あれ?
 すっとん・・・―――。(いろんな意味で掴みどころが無い意味で)
 すっとん!?
(ハルカには黙っておこう)
 安藤はそう心に誓った。
 目の前には、さっきあんなに遠くにあった白い巨塔があった。
 さっきの場所から、安藤司と久保田ハルカが最初に会った時間と同じくらいの時間でここに辿りついた。
「ツカサ、見える?これが私たちの街。ウヨキウト。狭いけど人口は1億人超よ。人口密度が大体190万人かな。そしてウヨキウトの中央に位置するあの目の前の白い塔が、超要塞都市シャングリラ。軍の基地も、街も、何もかもがあるわ。私の家もあそこにあるの。今から103番ゲートに着陸するわ。」
 白き巨塔にはいくつもの穴が開いている。下のほうには車が通っていて、飛行機も穴の中から出てくる。
「なぁ、ハルカ。この塔ってどれくらいデカイ?」
「確か・・・、あれ?高さが1000メートルで、下の長さが、そうね・・・。あれ?ええっと500メートルくらい長さがあったかしら?あれぇ?でもシャングリラって円錐だからなぁ。あれぇ?どこがどこだったっけ?ごめん。ツカサ。後で教えるわ。ちゃんと掴まってて。着陸のときが一番揺れるから。」
 そういうと、Gate103と書かれた穴を地上から400メートルくらいの高さに発見する。あそこに着陸するのか?
 10メートルくらいある門を通るときは、安藤も少しビビった。
 この機体は6メートルくらいあるのだから、くぐる時は結構緊張した。ぶつかりはしないだろうかと不安になったが、ハルカはいとも簡単にやってのけた。
 着地。
 キリキリキリと金属の擦れる音がする。
 耳が痛い。黒板を爪で引っかかれてるときのあの音がする。
 機体が無事に止まる。
 が、勢いで体が後ろに叩きつけられる。
「うぐぁ!」
 結局頭を打った。
「うぐぁ!」
 ついでに胸元の肺辺りに、女の子の頭がぶつかった。
「へへへ。ついたよ、ツカサ。大丈夫?」
「ま、まぁ何とか・・・。ハルカぁ。」
 上目遣いで安藤を見上げるハルカが、無性に可愛く感じた。
「降りよう!」
 ハルカがそういうと、機体は胸元を外に開き、安藤とハルカを外の世界に放出した。
 たった3分だったが、足が妙にふらつく。
「こるぁ!ハルカぁぁぁ!お前メンテナンスするっちゅって、しばらく乗らないって約束しおったら、1日であたいの言うこと無視りやがって!こんのドアホ!誰がそいつを整備すると思ってんねん!」
「あぁ、ごめんファウラー。」
 さっき電話で話してた女の子が思いっきり怒鳴ってきた。
 女の子は安藤のほうを見ると、腕を組みなおして1つため息をついた。
「まぁ、今回は構わへん。あれがあったんやからな。」
 ファウラーは、ハルカの後ろにいる安藤を見つけると、何かに気づいたようなそぶりを見せた。
「なんや、そいつか。」
「そいつじゃないわ。彼はツカサっていうの。」
 ハルカの返し言葉。
 これにはさすがに向こうも慣れてないのか、彼女も少し頭を抱えるような素振りさえも見せた。
「はぁ。まぁ、あたいも上から聞いてるからなぁ。一応知ってるけど、なんや微妙な面したやっちゃなぁ。もうちっと正義の見方みたいなイメージを寄せてたんやけど、そうもいかん見たいやなぁ。」
 腕をまた組みなおすと、表情が穏やかになった。
 ハルカもまた、彼女に穏やかな表情を返す。
「まぁよろしく頼むでぇ。安藤司。うちはファウラーっちゅうねん。よろしゅう。あぁ、関西弁なのは気にせぇといてぇ。うちもハルカと同じハーフじゃけ。こんな名前してっけど、日本人や。」
「よ、よろしく。ファウラーさん。」
「あぁ、嫌や嫌やそんなん。重苦しい。ファウラーで構わへん。」
「あ、そ、そう?それじゃぁ、よろしく。ファウラー。」
「うん。それでええねん。」
 ファウラーは、着陸したゲートの一番奥に行くと、なにかいろいろとゴチャゴチャした機材が織り交ざったところに座った。
「今降ろしたるから待っててなぁ。」
 と言うと、キーボードを入力し始めた。
 10秒もしないうちに、下からタラップ(空港などで使用されている搭乗・降機用階段)が現れた。
 それが一番上に上がると同時に、ハルカがタラップに飛び移る。
 安藤も黒き巨兵からハルカの方へ飛び移る。
 それと同時に、ゲートがしまり、空が閉ざされた。
 階段を下りると、そこは工場のような・・・、基地のような・・・。説明のしがたい場所だった。
「ようこそ。シャングリラへ。」
 ファウラーが改めて丁寧な挨拶をしてくれた。
「ようこそ!ツカサ!」
 ハルカも安藤のことを温かく迎えてくれた。
 安藤はそれがちょっと恥ずかしかった。
 笑顔がどこまでも美しい二人だった。
「ハルカ。とりあえずアイーシャさんのとこにそいつを案内しちゃれ。あたいはゼロをメンテに置いてくるから。」
「うん。ファウラー。それじゃぁまたね。ツカサ、こっちに来て。」
 ハルカが安藤の手を持つと、奥にある扉に引っ張ろうとする。
「あぁ。ハルカ。大丈夫。付いて行くから。」
「そう?わかったわ。」
 そういってこの広い空間を後にした。
 新たな日々が始まった。

   *

 扉の奥は、駅ビルを感じさせる。ショッピングモールと軍事施設が合体したようなつくりになっていた。
 普通に洋服とかを買い物している客もいれば、はたまた反対側を見ると、軍服を着た人間たちが何かを話している。
 下に400メートル吹き抜けになっているような感じ。高所恐怖症だったら見ないほうがいいかもしれない。
「ツカサ、これがシャングリラの中よ。すごいでしょ!1階から115階までがショッピングモールと宿泊施設になっているの。もちろん住宅もあるし、学校も会社もいくつか入ってて、国立の図書館もここにあるわ。軍関係の人もいるけどね。ここから上と、地下21階から下が私たちの棲む世界よ。」
「す、すげぇな。」
 安藤は感嘆と驚愕の意を示すことしか出来なかった。
 広い。そしてでかい。
 一番下を見ても、人の点すら見えない。
「下に降りてみたいな。」
 安藤が、興味本意でそういった時だった。
 ハルカが少し憂いた顔をした。
「あぁ。ええっとね。ツカサ。あのね、このシャングリラっていうのは、地下にラクリマに繋がる大きな穴があって、そこを守るために同盟政府が立てた要塞なんだ。下のほうはそういうお店とか一般の人が住んでいるんだけど、ここから上は全く違う世界なんだ。私はね。この世界でも普通じゃないんだ。」
 下を見下ろすガラス窓に腰掛けた少女は、どこか悲しそうな表情を見せる。
 どこか見えない空を見るように。上だけを見ていた。
 ハルカが下を見ることはなかった。
「私はね・・・。世界を守るために、私の世界を捨てたの。この形だけの平和の象徴を表すシャングリラの上に上ることを決めたの。」
「違うよ。」
「えっ?」
 安藤の返答に、ハルカは思わず絶句した。
 心の穴が、水で満たされるような感覚がする。
「ハルカは変じゃない。十分普通だよ。」
 安藤は、自分でも恥ずかしいことを言ってる気がした。
「俺にはよくハルカの事情は分からないけどさ。それでも・・・、それでもハルカが変だなんてもう思わない。」
 でも、なぜかそんな言葉が心の底から湧き出してくる。
 なんでだろう。
 ハルカだからなのかもしれない。
「ありがとう。ツカサ。あのね、私たちも別にシャングリラの下層部に降りてもいいのよ。でもあそこって苦手なの。私たちを見るとみんな引いちゃってさ・・・。でもそうなることも分かってて、私は軍に入ってゼロと、ラウム零とともに戦うことを誓ったの。だから別にいいのよ。でも・・・嬉しいわ。」
 すごく照れくさかった。
 でもそれとともに虚しさもあった。
「いや、別に・・・。俺はそんな・・・。」
 安藤はどこかハルカを守れない自分がいた気がしてならなかった。ハルカは自分がいなくても強いことくらい分かっているのに。
 ところがハルカは、どこまでも安藤の現実を超えて強かった。
「ツカサは本当に美しい人ね!私、ツカサのこと大好き!」
「えっ?」
そのとき安藤にはその言葉の意味がマジ的な意味に思えた。でもハルカに限ってそういうことは無いと思った。
 誰にでも気に入った人は好きだと言いそうな気がした。嫌いなやつはとことん嫌いになりそうだが、さっきのファウラーって子も、なんだかんだでハルカに気に入られているような気がする。
 だからそんな深い意味じゃないと思った。
 でも、そういうことがいえるハルカが、とてもうらやましくて。美しくて―――。
「でも、普通の服装だったら、別に軍の人間だ何て解からないんじゃないのか?」
「そうでもないわ・・・。私たちこの世界じゃ有名なのよ。写真だって公開されちゃってるし―――。特殊な実験機のメルキルフレームに乗る私たちは、何かと世間でも騒がれちゃうのよね。」
「そうなのか。」
 やっぱりハルカは普通じゃない。
 もちろんハルカは普通だ。
 ただ取り巻く環境が普通じゃない。この異常がハルカの普通をかき消してしまってるんじゃないかと思うほどだった。
 賑やかに見える塔中下界の景色とは違って、この階は暗澹としている。
 1つ下には、レストラン街なのか。ディナーの準備をせかせかしている光景が映る。それなのにここはまるで違う世界だった。
 しばらく安藤は薄暗いこの階から、あまりにも明るい下を見ていた。
「ねぇ、ツカサ。ちょっと会ってほしい人がいるの。上に来てくれない?」
 ふとハルカが、安藤を呼んだ。
「えっ。」
「あぁ。えぇっと・・・。私たちの上の人なんだけど。その人がちょっとツカサのことを呼んでて・・・。来てくれない?お願い。」
「あ、あぁ。」
「ありがと。こっちよ、ツカサ。ついてきて。」
 ハルカはそういうと、少し薄暗いビルの廊下を先導して歩く。少し、といっても広い建物の中を進んでいくと、そこにはエレベーターがあった。
 エレベーターの明かりは1階を指していた。ボタンを押すと1秒もしないうちにドアが開き安藤が知ってるエレベーターがそこにあった。
 どうやらこの階が1階らしい。
 やはりここと下じゃ世界が違うのか。
 階数が安藤にそう悟させてる気がした。
「下にはどうやって行くんだ?」
「R2階の奥の部屋に下に降りるエレベーターがいくつかあるわ。警備は厳重よ。下に降りるにはそれと非常用の階段しかないわ。」
 やはり世界は違うらしい。
 ハルカは決して表情を変えることは無かったが、どこか重苦しい空気が、エレベーターの中に谺していた。
「う!?」
 エレベーターは急激に上昇を始めた。中学校のときに東京へ修学旅行へ行って、都庁と東京タワーのエレベーターに乗ったときと、同じような感覚がした。
 耳がすごく気持ち悪い。
 鼓膜がぐわんぐわんと嘆く。
「ツカサ。大丈夫?」
「あ。あぁ。ちょっと耳が・・・。でも大丈夫・・・うん。」
「そう?」
 安藤は少し見栄を張った。
 シャングリラの上層部のメルキルフレームの離着陸用の滑走ゾーンと、軍事施設、軍事研究施設、防衛省、国家公安委員などが織り交じっていて、シャングリラ全体の半分以上を占めるが、Rの付く階数は全部で58階しかない。
 地上400メートルから上に600メートル強の高さの建物を、高速で上がっていくことになる。
 初めてだと耳がどうしても慣れない。
 途中で空が見えた。
 R23階あたりに差し掛かった頃、暗い建物の中からエレベーターは抜けて、外が見えるようになった。
 高い。
「うわぁ」
「うふっ。すごいでしょ。シャングリラで私たちが、一番得だと思うことだよ。一般の人は下の115階までしかいけないけど、私達はその2倍以上の高さのところまで登ることができるの。最高よ。」
 空が目の前にある。
 どこまでも空と平原が広がっていて、違う方向を見ると、果てしない水平線がずっと遠くまで広がっているように見える。
「空が・・・。」
「そう。どこまでも広い私たちの空。私達は空を翔るのよ。」
 ハルカは空を飛べる。
 安藤はそんなハルカがとてもうらやましくて。そしてそんな力が欲しいと望んだ。
 下を見ると、そこには塔を中心にして、円形に街が広がっていた。ただ、街の境界線って物があるのか。
 その円の周りは、何一つ無い平原と海だった。
 まるで外の世界と、中の世界を完全に隔離したような景色だった。
「きれい―――、だな・・・。」
 美しい景色だった。
 これだけで空を飛んでる気分になれる。
 安藤は、ちょっと怖かったが顔を思いっきりエレベーターのガラスに押し付けて、外の景色を楽しんでいた。
 エレベーターはR58階に着き、止まった。
「ツカサ。ついたわ。」
 エレベーターが開くと、そこは放送局のような、軍事施設のような、大きな会社のような、株価取引でもしてるような。
 とにかくたくさんの人が、いろんな機械や電光掲示板に向かって働いている光景が目に映った。
 それを安藤は、上のギャラリーから見ている。
 何人かが、安藤とハルカに気づき、ちらっと見た。
「おーーーい!」
 ハルカは、ギャラリーの鉄柵から身を乗り出して、下の人に手を振っている。
「あぁ。ハルカ。お帰り。」
 よく聞き取れなかったが、ハルカを確認したその人はそういった気がした。
「ハルカ、知り合いか?」
「う〜ん。っていうかここにいる人、みんな知り合い。」
「へ、へぇ。すごいな。」
 安藤は1000人はいるであろう、この空間にいる人が、全員ハルカのことを知っていると思うと、驚愕を隠せない。
 パソコンをいじってる人も、機械の部品を扱ってる人も、たくさんの書類を見てまとめてる人も、全員ハルカを知っている。
 ボーっとその人の群れを見ていると、ハルカが袖を引っ張る。
「ツカサ。会ってほしい人は、もうちょっと上にいるの。奥のエレベーターからそこにいけるわ。来て。」
「あ、あぁ。」
 そういうと、ハルカはギャラリーを周回して、反対側に向かっていく。
「ツカサ!早くぅ!」
 シャングリラは、予想以上にすごいところだった。
 ギャラリーから下に降りる階段がいくつかあって、降りてみて下の様子を見てみたいと思ったが、今はハルカについていった。
 ぐるっと反対側に回ると、そこにまたエレベーターがある。
 今度のエレベーターはだいぶ古風だ。
 タイタニックに出てくるような、手動の檻とレバーで動かすような、だいぶレトロなエレベーターだ。
 押しボタン式だったが・・・。
「ハルカ。これ、落ちないのか?」
「大丈夫よ。見かけはこれだけど、これはあくまで長の趣味だし、中は安全なつくりになってるわ―――。嫌だったら階段もあるけど、どうする?」
「いいって、大丈夫だから。」
「そう?」
 そういうと、エレベーターが下りてきて、ハルカは安藤を乗せると、檻を閉め、レバーを一番上に上げた。
 どうやら最上階に行くらしい。
 今度は普通のエレベーター速さだった。
 高さも普通なくらいだった。
 R58階とT1階は同じらしい。
 安藤たちはT6階。いわゆる最上階を目指した。
「なぁ。ハルカ。俺、今から誰に会うんだ。」
「あ、言ってなかったっけ。ごめんなさい。あのね、なんていうのかな・・・、私たちの上の人。この軍で一番偉い人よ。シャングリラの中で一番偉い人。元帥よ。あ、私も実はOF-6・准将なんだ。」
 ハルカにそんな肩書きがあるのか?
 安藤はびっくりした。
 ハルカにはいつも唖然とさせられる。やっぱりまだ知らないことがたくさんある。
「やっぱり、ハルカも軍隊の人間なんだな。」
 言い方が少しまずかったかもしれない。
 安藤は言ってから少し悔やんだ。もしかしたらハルカに嫌な思いをさせてしまったかもしれないと少し不安になった。
「そう。そうなの・・・。やっぱり女の子だと、変かな。あ、でもね、元帥さんも女の人なんだよ!すごく強いんだよ!」
「そうか。元帥・・・ねぇ。」
 この世界はすごい。―――のかもしれない。
 安藤の想像を遥かに超えていた。
 安藤の頭の中には、とてもいたいけな笑顔からは想像できない、軍とか、戦いとかいう存在が犇めいていた。
 エレベーターは、すぐに最上階に着いた。
 鉄檻を開けると、そこには1つの扉があった。
 今までの感覚からすると、ものすごく地味な感じがした。
 赤絨毯が一直線に扉に伸びていて、扉はとても重そうな両開きのドアだ。
 取っ手がものすごく重そうな雰囲気を醸し出している。
(元帥だよな・・・どんな奴だ?やっぱ怖ぇ奴なのかな?やっぱり丁寧な言葉を使った方がいいのかな)
「アイーシャ、入るよ!」
 ただ、ハルカに関しては、やっぱり例外だった。
 安藤が、雰囲気のせいか、扉の前で躊躇ってしまい足が動かなくなっていたのに、ハルカは何の迷いもなく、扉を開けた。しかも目上の人に使う口調とは思えない口調で。
 安藤は少し焦った。
 視界に広がった最上階の部屋には、3人の人が既にいた。
「なぁ、ハルカ君。君はもう少し上の人間に対して口の利き方を学んだ方がいいと思うよ。全く。」
 背の高い女の人が、部屋の奥にある机に座って頭を抱えるように言った。
 どうやらこの人が元帥らしい。
「あ、ご、ごめんなさい―――。あ、霧島さん!帰ってたんですか。」
「あぁ。3時間前に中華民国租界から帰還したところだ。」
 机に座ってタバコを吸いながら書類を見ている女性と、メガネをかけた、スタイルのいいイケメンの男性と、窓際で佇む女性がいる。
「反乱軍でしょ?大丈夫だったの?」
 ハルカはその男に向かって話している。
 男はいかにも漫画のキャラクターみたいにメガネを中指で押し上げ、表情1つ変えずにハルカに言う。
「問題ない。制圧した。任務は予定通りに決行してきた。」
 いかにも冷酷な目をしている。
 安藤はその男に脅威を感じる。まるでツバメと初めて会ったあの時と、同じような感じがした。
「大丈夫だった?租界のテロって厄介なの多いし・・・。」
 ハルカは心配そうにその男のことを見る。
 安藤は、ハルカが別の男に馴れ馴れしく話していることが何となく愉快ではなかった。が何も言えず、動けず、立ち尽くしているしかなかった。
 ―――かたまった。
「弱者と戦うのは好きじゃないが、一応敵は敵だ。植民地を治めるのは勝者の役目だから仕方の無いことだ。ただ今は、ただでさえ世界が平和でない。いろんなところで反逆者がのたずり回っている世界だ。テロやゲリラが絶えない。それなのに、Σと戦ってる暇なんてあるのか、私は不安だ。」
「まぁいいじゃないのさ。無事に帰ってきてくれたんだしさ。なぁ霧島。フリューゲルの調子は大丈夫か?」
「はい。無傷です。目立った損傷はありません。ただ元帥。私は出来たら前線を退きたいのですが。」
 いかにもカッコよく、その男は自分の意見を述べる。
 元帥さんは元帥さんで、その男を手懐けているようだ。
「私はあんたを褒めてるんだけどねぇ。なんせアンタは列記とした日本人なんだから、極力私もアンタを押したいんだけど―――。まぁ考えとくわ。」
 安藤が見るからに、ここにいる人たちの話し方には何かしら特徴がある。
この人は、下の人が話すことに頭を抱えるのが癖なのか。いや、上の人ならそういうことがたくさんあるのだから仕方のないことに違いない。
 何となくそう思った。
「できれば私はΣの軍での前線に立ちたい。ちっぽけな勲章など欲しくない。」
 カッコいい。
 割りにかなりわがままなことを言ってるなと安藤は思った。この人もどこか頭のネジが外れている気がする。
「全く。あんたってのは・・・。まぁ実力は認めるけどね。それよりさ、隼とマリアは大丈夫かい?」
「ええ。サキュバスピクシーは多少左ウィングに損傷が見られましたが、今ファーレンハイトがやってくれてるはずです。」  安藤は会話の無いように全く付いていけてない。
 あの男がどっかで戦って・・・。それで・・・。
 と言うところくらいまでしか、わからない。
 自分がこの場にとてもいちゃいけないような気がしてならなかった。
 出てくる名詞たちがわからない。
「そう・・・。まぁあんたたちに限って死ぬなんてことはないと思うけどねぇ。」
 死ぬ?
 安藤は、ここにいるこの人たちは、そういう環境や待遇に置かれている人たちであるということが不思議だった。そして不安でもあった。そんな場所に置かれてる人の近くにいていいものかと、心細くなる。
 ハルカも、同じだと認めたくないような感じがする。
「それより元帥―――。」
 その男と元帥と思われる女性は、なにかいろんな情勢について話し始めた。
「なぁ、ハルカ。あの人は?」
「霧島さんよ。霧島創。霧島さんも私たちと同じイデア。MKFメルキルフレームフリューゲルの操縦者だよ。彼は純粋な日本人なんだ。このシャングリラの中だととても珍しいわ。まぁイデアの人自体が少ないんだけどね。彼はうちの中でも操縦技術ならトップクラスの腕を持つわ。」
「へ、へぇ。」
 ハルカと同類の存在。
 それは安藤自身とも同類の存在だと言うのか。
 安藤は自分の力が未だに信じられなかった。あの空間を通ることが、自分にしか出来ないことなのかと言うことが不思議で仕方が無い。
 自分を見失いそうで、怖い。
「ツカサ?大丈夫。」
「あぁ、なんでもない。」
 少し考えすぎてしまったようだ。どうも顔色が悪くなっていたらしい。
「霧島。ちょっと席をはずしてくれないか。」
 向こうの方でも話が終わったのか、元帥の女性は霧島にそういった。
「はい。わかりました。」
 霧島は行儀よく返事をすると、この部屋を後にした。
 その間安藤はずっと霧島の方を見続けていた。
 彼が部屋を出て、分厚いドアを閉めるときに軋む音が響き渡った。
「エルシィ。ハルカ君と彼にお茶を入れてやってくれないかい?」
「はい。元帥。」
 元帥の女性がずっと窓際で黙っていた女性に指示した。秘書なのか?
 いや。使用人なのか?
 そんな事を考えていると、元帥はおもむろに話し始めた。
「やぁ。安藤司君。待っていたよ。OF-9・元帥の『アイーシャ・アイゼン=ライプニッツ・エルド・ラ・ドルトラ・ルフトシュピーゲルング=纐纈』だ。『アイーシャ』か『あやめ』と呼んでくれて構わない。よろしく。」
「は、はぁ。よろしくお願いします。」
 長い名前だった。
 いかにも偉そうな名前。
 元帥と言うこともあって、安藤はうまく喋れない。
「重いなぁ、君は。そんな敬語口調はやめてくれ。」
 といわれてもそうそう直すことは出来ない。
 安藤は人見知りはしない。だからハルカとも気軽に話せたが、あくまでハルカは同い年の同級生のだ。今は話が違う。
 明らかに年上の女性で、しかも元帥という位であれば、話し方だってどうしたって気を遣ってしまう。
「でもさっきの人は・・・。」
「あぁ、霧島は特別だ。言っても聞かないんだよ。あいつは。そういう性格だからな。見てて分かったろぅ?まぁそういうところも私は評価してるんだがねぇ。」
 自分もそういうキャラであればよかったのだが。と、安藤は今更になって自分のキャラを悔やんだ。
 ハルカがいなければ、出来なくはなかったんだが、今はとても恥ずかしくてできない。
「元帥、ダージリンです。お二方もどうぞ。」
 とさっきの秘書らしき女性が紅茶を持ってきてくれた。
 まずアイーシャの机の上に一つ置いた。アイーシャは、「ありがと」と軽くお礼を言う。その後、その女性は、お盆に乗せた紅茶をこちら側に差し出した。
「ウェストベンガル原産のダージリンティーです。ハルカ准将のものにはお砂糖が入っておりますが、安藤様はお砂糖は無くても大丈夫ですか?」
「あ、いえ。大丈夫です。」
 綺麗な人だ。
 顔の形が整っていて、濃い黒のロングヘアーで、背もなかなか高い美人だ。言葉もものすごく丁寧でびっくりした。
「ありがと!エルシィ。」
 と、明らかに目上の人に対して使う口調でない口調でハルカは多少茶渋の後がついたティーカップを取った。
 どうやら取るカップは決まっているらしい。
「あ、ありがとうございます。」
 安藤も礼を言って、紅茶を手に取った。
 とてもいい香りがした。
「いいえ。お皿はそこのテーブルに置いておいて下さい。後で私が片付けておきます。私は少々私用があるのでしばし失礼致します。」
 そういうと、その女性は、霧島と同じように大きな扉のほうに向かっていった。  今度はゆっくりドアが閉まり、金属の軋む音の代わりに、ガチャッというドアの響く音がこだました。
「うん。今日のティーもいい味だ。」
 アイーシャは満足げに紅茶を呑んでいる。
 安藤も一杯飲んでみた。砂糖も入っていないのに、ほんのりと甘い味がした。その後にいい苦味が来た。
 おいしい。
 心からそう思った。
「さて、本題だ。」
 アイーシャの目が急に真剣になる。
 睨みの利いた目付きで、安藤を見つめ、話し始めた。
「安藤司君。君を呼んだ理由は他でもない。君はイデアだ。現に君はラクリマの世界を通ってこの世界にやってきた。それは今ある現実だ。ここまではいいかい?」
 いいわけがない。
 そこが引っかかっている。自分がこの世界に連れてこられた理由。そもそも異世界の人間であるハルカが安藤の世界に来た理由。
 疑問はたくさんあった。信じられない現実でも、説得力があるなら受け止めよう。その心を誓って聞いた。
「あ、あの。まだよく分からないんです。俺、あ、僕がどうしてこの世界につれてこられたのか。」
「あぁ、別に一人称は自由で構わないよ。『俺』だったら『俺』でいいじゃないか。嫌いじゃないぞ、私は。現にここには自分のことを俺という奴が一番多い。」
 安藤はそう言われ、少し安心した。
 アイーシャは立ち上がり、机に腰掛けて話し始めた。
「ふぅ。そうだね・・・。簡単に言えば、君は選ばれた存在なんだ。いいかい。ここはあくまで君がいた世界とは違う世界だ。でもね、生憎ここは君の世界から原点を中心にして対称の世界なんだ。まぁ完全な鏡ってワケじゃないんだけどね。ただ、たとえ場の話xyz軸が『1・1・1』の対称の点は、『-1・-1・-1』っていうのは分かるかい?つまり、反対を示すには同じ数字を使用するしかないんだよ。つまり君と同じ人はどこかにいる。といっても限りなく点に等しい『完成した世界』の中で、自分と対称関係にある人が見つかるかと言うと、そんなわけないんだ。ここまでわかるかい?」
「はい。なんとなくですけど・・・。」
 ありえない現実がありえるなら、理解するしかない。
 安藤の心の中は苦しさで溢れそうになってくる。
 どこまでもありえない現実が、どこまでありえるのか。限界が時空のどこまで広がっているのかが、不思議で、不思議で。怖くて、怖くてしょうがなかった。
 アイーシャは話を続けた。
「うん。それでもね、人って言うのは関数じゃ表すことが出来ない曲線の上に成り立っているんだよ。もちろん誰一人といってその線が重なることなんて無いんだ。無限と線があっても、そこをすり抜けて出来る線だって無限とあるわけだからね。でも特別なものもあるんだ。それは原点さ。原点の限りなく近くを通っている曲線ならば、世界を渡ることが出来る。原点って言うのは線じゃない。二次元グラフで書くと、第一象限から第三象限までに、曲線を書いて移動する場合、原点を通らなければ必ず距離が存在する。それはどんなに短くても、基準を小さくすれば大きいものになる。たとえばy=x+1のグラフを人と例えた場合、その人がこちら側に来るまでには、√2の距離が存在してしまう。これはとても長い距離だ。でも原点を通れば違う。原点を通れば距離は『0』さ。つまりラクリマって言うこの世界と君の居た世界をいどうできるのは限りなく原点に近い点を通る曲線の上に立つ君たちだけなんだよ。その座標の点に存在する者がイデアって言うんだ―――。すまない。喋りすぎたようだね。理解してもらえたかい?」
 難しい話だ。
 一瞬で理解しろと言う方が無理がある。
 理解したところは理解しよう。ただ聞きたいことはこんなんじゃない。
「正直言うと、自分がその曲線であることは理解しました。でもだからって俺をわざわざ異世界から呼んでくる理由を教えてほしいんです。しかも原点に限りなく近いってことは、原点を通ってないのに。どうして俺はここにこれたんですか?」
 安藤の思う最大の疑問をぶつけた。
 アイーシャは笑って返した。
「原点に限りなく近い0って言う数字の位を舐めちゃいけないよ、安藤君。君が通ってきた距離の長さは、宇宙の出来た確立よりも短い距離だ。だから君だってこの世界に来るまで、何かしらの障害があったろう?まぁそんなことはどうだっていい。君をこっち世界に連れてきた理由、ねぇ。それは今から話すよ。そうだね・・・。君はここに来るとき一人の男と会ったはずだ。ツバメって奴を君は覚えているかい?」
 あの黒い男。
 目の傷が安藤の中で異常なほどに印象が残っている。
「はい。分かります。」
 アイーシャは軽く笑い、うなずき、一口紅茶を呑む。
 その後、開いた目にはさっきと同じ険しい目付きがあった。
「ツバメはね。私にはよく分からないんだけど、君と同じ曲線の上にいる人でね。たまたま君のいる座標を通る曲線の上に乗ってしまった人なんだよ。彼の座標を通る曲線の上には君がいる。だから君なら出来ると思ってね。」
「何がですか?」
 安藤に出来ること。
 それは、ものすごく単純で。簡単で。ありえない現実。
「CLEARONだよ。安藤司君。」
 それを受け止めることだった。
 アイーシャの言った聞き慣れない単語。
「くれあおん?」
 思わず疑問符をつけて聞き返してしまった。
「そうさ。」
 アイーシャはうんと大きくうなづく。
 安藤は状況が全く読み込めていない。
「なんですか?それ?」
 ハルカも俯いて黙っている。
 アイーシャは薄ら笑いを浮かべてるのか、真剣な表情なのかよく分からない曖昧な顔を見せてくる。
「直結に言おう!君はここに来るときゼロに乗ってきたね?」
 ゼロ―――?
 そうだ、あいつだ。
 あの黒の巨兵だ。
 ハルカがそう呼んでいた。ハルカの友達―――。
「はい・・・。」
 嫌な予感がした。
 一瞬で想像が付いた、最悪の予想だった。
「そうさ。CLEARONは、君のメルキルフレーム。君には是非とも我がBWFZO、特別超兵器平和維持中央機関の一員として戦ってもらいたい。」
「えっ?」
 ありえない現実が始まろうとしていた。
 となりには黙りこくったハルカが、何かを言いたそうにもがいているようだった。まるで全てを知っているような気がした。




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